こんにちは!

マニラでボランティア中のにきです。

今回は2週にわたってお送りします。

 

マニラに来て凡そ5ヶ月になり、

期待の斜め上を行くフィリピンにだんだん驚かなくなってきました。

 

この間は職場でFire Drillが予定されていたので、てっきり避難経路の確認なのかと思ったら火消しの訓練で

ふつうの住宅街でものすごい炎が上がっていました。

消火器のガスがあたりに充満して呼吸困難になり、

訓練のはずが既に災害になっていたのですが

おかげで火の消し方は完璧に学びました。いつでも消せます。

 

 

前置きはさておき

今回は前半後半にわたって、フィリピンと日本の今と昔の関係について、これまで見てきたものをベースに書いてみたいと思います。

 

今月初めに、マニラから車で3時間ほどのバターン半島に行く機会がありました。

この半島は「バターン死の行進」が日本軍によって行われた土地です。

日本軍は1942年にフィリピンに上陸し、おおよそ1か月半ほどアメリカ軍との戦闘を行った後フィリピン全土の侵略に成功しました。

「バターン死の行進」は、日本軍が侵略後にアメリカ人兵とフィリピン人兵合わせて75,000人ほどを半島の南端から北の方にある捕虜収容所まで水や食糧なしで歩かせたことを指します。

今ではこのバターン半島は、自然も豊富でマニラから週末にパッと遊びに行ける場所として、観光客よりも現地の人たちに人気の場所になっています。

こちらのバランガという町にあるBataan WW2 Mueseumで、日本軍の侵略を経験して生き延びた90歳近くのおばあさんのお話を伺うことができました。

 

6人の兄弟のうち4人を日本軍に殺され、残った兄弟の1人も行進に参加させられたそうです。戦争が終わった後もバランガでずっと暮らし、学校の先生をなさっていた方でした。

日本人の観光客はあまり来ないとのことで、快くいろんなことを説明して下さいました。

最後におっしゃっていたことがとても印象に残っています。

“日本人の人に、何度か「今でも兄弟を殺されたことを怒っているか」と聞かれたことがあるが、もちろん昔は怒っていた。とてもつらい経験をしたし、日本のことがとても憎かった。

けれども、今はもう怒っていない。このように日本の人に、バターンの歴史を見に来てもらえてうれしい。“

と笑顔でおっしゃっていました。

 

このように「昔日本軍が侵略した場所に行って話を聞いてみたら、今いる人たちは怒っていなかった」というような日本人の体験談は本当にたくさんありますが、

私は、「ああ怒ってないんだ、よかった」というような認識で終わらせることが一番浅はかなんだろうなと、このおばあさんのお話を聞いて思います。

 

それよりも、実際に経験した方がこのように自分から発信されているのにはきっと理由があって、

昔加害者だった国で生まれ育った私は、ちゃんとその理由を理解しようとしないといけないのだと感じました。

まずはなにがあったのか、現地に行って知ることから始まるのだろうと思います。

 

前半はここまで。読んでいただきありがとうございました。

後半の来週は、今のフィリピン人の日本の認識について少し書きたいと思います。

カテゴリー: アジア

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


関連記事

アジア

ダナンはビーチが綺麗なだけじゃない!

始まりました、ダナン国際花火大会2018 こんにちは! ベトナムの中部 続きを読む …

アジア

ミャンマー国内旅行~パアン~

一週間ぶりのミャンマー留学中のゆきこです。   早速、山登り 続きを読む …

アジア

ミャンマー国内旅行~パテイン~

お久しぶりです。ミャンマー留学中のゆきこです。   フィール 続きを読む …